武蔵国分寺跡周辺
武蔵台公園・黒鐘公園・伝鎌倉街道・武蔵国分尼寺跡・武蔵国分寺跡・武蔵国分寺・万葉植物園・都立武蔵国分寺公園・武蔵国分寺跡資料館
2023年3月29日

風景  パノラマ:切通脇高台        Home

  JavaScriptを有効にしてください。
操作法:下の写真をクリック→拡大写真、右クリック→次の写真、左クリック→戻る。スライドショー時:右クリック→静止、左クリック→戻る。

ルート図 (地図をクリックすると拡します)   YAMAPで軌跡を記録しました。

@武蔵台公園 新府中街道口 12:10 - A武蔵台公園東端 12:22 - B伝鎌倉街道切通し脇高台 12:33 - Cコンビニ 12:47 - D武蔵台公園東端 13:03〜13:32(昼食) -
E武蔵国分尼寺跡 13:33〜13:40 - F武蔵国分寺金堂基壇跡 13:44〜14:52 - G武蔵国分寺・万葉植物園 13:56〜14:25 - H都立武蔵国分寺公園 14:34〜14:44 -
I国分寺薬師堂 14:49 - J武蔵国分寺跡資料館 15:17〜15:24 - K武蔵国分寺金堂基壇跡 15:32 -



 入院中の連れ合いに届け物した帰りに新府中街道から府中市の武蔵台公園に入ってみた。公園は小金井崖線に沿って長細く、東端は台地の上で、崖下には国分寺市の黒鐘公園がある。自転車では進めず、手で支えながら一段ずつ階段を下った。その先には武蔵国分尼寺跡、北側には伝鎌倉街道切通しや伝詳応寺跡があった。JR武蔵野線の狭い高架下を通り抜け東に進むと武蔵国分寺金堂基壇跡跡がある。付近には国分寺楼門、現在の武蔵国分寺・万葉庭園と薬師堂、都立武蔵国分寺公園、武蔵国分寺跡資料館などあり、桜満開のもと散策した。
 これらは国分寺崖線沿いにあり、約1300年前に建てられた60余の国分寺の中で武蔵国分寺が最大級の大規模であったことは、近年の発掘と整備された寺跡から実感できた。当時の武蔵の国は東京都、埼玉県全域と神奈川県の一部からなる広域で、その国府が現在の府中市にある大国魂神社付近にあり、国分寺崖線の下部には清らかな湧水が溢れ、国分寺創建にふさわしい地だったことが分かる。
 約600年年前の元弘年間、新田義貞と鎌倉幕府方による分倍河原合戦焼失してしまい、遺構のほとんどが地中に埋没していた。100年前、明治末期から調査がはじまり、昭和30年代になって本格的な発掘調査で建物跡、遺物が出土し寺域の規模が明らかなり、史跡として保存されている。なお、焼失後、薬師堂が再建され小規模の武蔵国分寺が今日まで続いており、その万葉庭園には草木をよみこんだ万葉の歌が、実物の近くに掲げられていた。植物名の変化も分かって面白い。

武蔵国分寺

リンク: YAMAPのページ





Copyright © 2023-
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送