山梨百名山  要害山
2022年5月9日

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ルート図 (地図をクリックすると拡します)   YAMAPで軌跡を記録しました。

1回目(左):@積翠寺 6:55〜7:07 - A登山口駐車場 7:09〜7:20 - B要害山城址 8:08〜8:15 - C深草観音 9:30〜9:47 - D林道終点 10:24 - E日吉神社 10:34〜10:37 -
    F駐車場10:54 - (Gへ車で移動)
2回目(右):G林道終点 11:25 - H草深観音 11:49〜11:59 - I要害山城址 12:54〜12:57 - J城門跡(折り返し点) 12:02 - K草深観音分岐 13:51 - L林道終点 14:10


 白寿を迎える親戚をお祝いするため久しぶりに帰郷した機会に山梨百名山の一つの要害山から深草観音への周回コースを歩いた。まず、登山口の少し下の積翠寺に寄った。同寺は同級生の実家でもあるが、訪れるのは小学校入学前(恐らく4〜5歳)に、4月12日武田神社例大祭の武田24将騎馬行列について行き着いた以来である。泣きながら夜道を下った思い出がある。坊に寄ったが不在だった。
 要害城は武田氏の躑躅ヶ崎館が緊急時に立て籠もる詰城として信虎が築城した史跡要害城跡でもあり、東郷平八郎書の武田信玄生誕地の碑があった。幾つかの門や曲輪があり、最上部の主郭部は意外に広く、立派な建物が.徳川が甲府城を造るまであったと言う。城址に山梨百名山の柱があったが、要害山・丸山山頂は少し離れた787mのピークかも知れない。なんの表示も無かったので通り過ぎてしまった。この間には稜線から幾筋かの竪堀があり、城好きには欠かせぬ城址だろう。主郭部は耕運機で掘り起こしたように一面凹凸になっており、道の両脇も同様だったから猪の仕業である。かなりの数が生息していそうだ。
 深草観音付近は約20cm台の球状の石を含む礫岩地帯で、岸壁の窪みに薬師や千手観音石像が祀られていた。1928年に奉納された頑丈な鉄梯子の上部にある岩壁の石窟には「奥の院」観音堂がある。本尊の岩堂十一面観世音菩薩は普段は瑞岩寺に安置されており.、毎年4月17日に奥の院に移され「深草観音まつり」が行われるとあったが、内部の荒れは著しく、今年は行われなかったようだ。
 沢筋を下り麓の上積翠寺の日吉神社、積翠寺を経て駐車場所に戻ると、胸のケースにデジカメが無いのに気付いた。途中から撮影はスマホにし、落とした覚えもないので、何処かに置き忘れかも知れず、下山した沢筋の林道の車が入れる所まで車で戻り、逆ルートで深草観音、要害城の2つほど城門下ったが見つからなかった。登山口から要害城間の写真が無いのはそのためである。要害城当りから雨粒が落ちてきたが、傘もささずに車まで戻れた。それが2回目である。



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